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11月18日午前10時 児童文学者の渡辺茂男先生が亡くなった。 78歳だった。 渡辺茂男先生といえば、『しょうぼうじどうしゃ じぷた』や 『もりのへなそうる』の作者であり、『エルマーのぼうけん』や 『どろんこハリー』の訳者でもある。 児童書界の誰もが認める事実、それは、先生の功績がなければ、 日本の児童書界に発展はなかったということだ。 生涯先生が手がけた本は、本人も把握できない程で、 約600冊にものぼると言われている。 私は、その600冊の中の2冊を担当させていただいた。 それも私の知る先生の姿は晩年になる。 初めて先生の家にお邪魔したのが2003年だ。 当時、先生はまだ家におられて、先生の留学時代の話を 聞かせてもらったり、書斎を見せてもらったりと、 とても楽しい時間を過ごさせてもらった。 そして、その頃にさせてもらった仕事が ![]() 『ジェフィのパーティー』 今思えば、先生が初校から校了まで、誰の助けも借りずに やりきった仕事は、この本が最後だった。 私はその仕事ぶりから、大変多くのものを学んだ。 そこで一番印象に強く残ったエピソードをひとつ紹介すると、 当時、先生は物忘れが進んでいらして、 原稿を戻す際、先生の家にお邪魔しても、 その場で赤字について話し合って詰めるということは なかなか難しいことだった。 しかし、たった一度だけ、先生の調子が良く、 それができた時があった。 その時私は、先生の子どもの本に対する洗練された感覚を見た。 先生にとって絵本の絵は、ただそこに横たわって描かれている だけの存在ではなく、絵がページの中を自由自在に、 まるで意思を持っているかの如く動き回り、喋っているのだった。 「ほら、この子は、ここにいるけれども、 今はここに来て、こんなことを喋っているようじゃないですか」 先生は、絵の子どもを指差しながらおっしゃった。 「だからほら、ここの訳はこうじゃなきゃおかしいんですよ」 なるほど〜(唸)。 先生の子どもの本に対する姿勢は、 最後まで子どもの視点そのものだった。 去年の9月、脳梗塞で入院され、 以来、一度も自宅に戻られることはなかった。 何度かお見舞いに参じたが、行く度に目標が下がっていった。 「先生、また自宅に戻ってお仕事しましょうね」 「先生、自分でご飯が食べれるようになれたらいいですね」 「先生、車いすで自由に移動できるといいですね」 「先生、せめて自宅で養生したいですね…」 私は、先生の姿に、入院中、一度も見舞いに行けなかった 亡き祖父を重ねずにはいられなかった。 先生のがっしりした手、時折、目を開け、話しかけたことが 通じたかのように微笑まれた笑顔は、一生忘れないだろう。 入院以後、私は先生の長男であられる鉄太さんと仕事をしている。 これからは鉄太さんと、これからの子どもの本を作ろうと思う。 先生から学んだこと、本当はもっと学びたかったという気持ちは 今も残るが、その学んだことを活かしながら、未来の子どもたちへ 先生の想いものせて、さらに楽しい子どもの本を作りたいと思う。 最後に、上記の本の刊行後、先生自身から寄せていただいた メッセージを転載する。 「楽しい絵本のお手伝をさせていただき、ありがとう」 偉人は何歳になっても謙虚である。 本当に惜しい人をなくした。 心からご冥福をお祈りする。 @このあの館主人 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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そうですか。亡くなられましたか。 |
Mongo 2006/11/22 07:32 |
昨夜、当方ブログに |
海ねこ 2006/11/22 13:54 |
先日娘がお借りした『じぷた』、何度も読まされています。 |
o田 2006/11/22 22:50 |
本当に残念ですね。 |
ナンダンナ 2006/11/23 14:17 |
ナンダンナさん、ありがとうございます。 |
海ねこ 2006/11/23 17:37 |
『すばらしいとき』の、”おまえたち”と語りかけるあの口調。日本語ってすばらしいなあと思わずにはいられません。絶妙な訳だと思いました。 |
ナンダ 2006/11/24 18:16 |
実はナンダも一度、渡辺先生に会ったことがあります。私といっしょに多摩まで行ったのです。良かったですね。考えてみれば、ナンダは、石井桃子さんにも会ったし、間崎ルリ子さんにも会っているし、実に恵まれています。 |
ナンダンナ 2006/11/25 17:40 |
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